執着を手放すと欲しいものが手に入る @木村秋則さんの体験談から考察

執着を手放すと欲しいものが手に入る @木村秋則さんの体験から考察

人生はよく川に例えられる。私たちは人生という名の川を下る旅人だ。幸せや望むものは、すべて下流にあることを知っているから、私たちは皆、下流を目指して旅をする。



下流をポジティブゾーンとするならば、上流は苦労や抵抗などのネガティブゾーン。川の流れに逆らってボートを漕ごうとすると、たちまち水の抵抗にあう。上流を目指して漕げば漕ぐほど流れは急になり、強い抵抗となり道を阻む。
 

ヘトヘトになって漕いでも、ちょっとでも気を抜けば、すぐに下流に押し流され、漕いでも漕いでも前に進まない、という状態になってしまう。
 

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そうやって、上流(ネガティブゾーン)に進み続けるほど、困難や苦労が次々と出てきます。ネガティブな部分が現れることによって、「そっちじゃないよ」と教えてくれるんです。
 

つまり不幸さえもラッキーと捉えることができるわけです。流れに逆らっていることに気付かせようとしてくれているのですから。
 

川の流れは、まるで愛のパワー。人がどんなに不幸(上流)に向かってボートを漕いでも、最終的には必ず幸せの方へと押し流してくれる
 

どんな人にも平等に、いつも前に進む力が働いています。
 

川の流れに身を任せている人ほど、少ない力でスイスイと前に進んで行きます。あなたのまわりにもいませんか?楽しそうに、しかも簡単そうに、物事がいつもスイスイ運んでいく人が。
 

逆に自分は何をしてもうまくいかないと感じている人は、上流に向かって一生懸命ボートを漕いでいるのかもしれません。
 

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力を抜いて、流れに身を委ねてみましょう。そうすれば、川の流れが勝手にあなたを下流に運んでくれます。
 

流れに身を委ねるということは、いま目の前にあること、いまこの瞬間を楽しむことに集中することです。いま目の前にある小さな幸せを感じることです。力を抜いて、楽しいことをしてください
 

ただそれだけです。
とてもシンプル。
 

いま、この瞬間、一番楽しいことを、一番楽しい方法で行う。逆に暗い気持ちになることは行わない。ワクワクすればやる。そうでないものはやらない。その積み重ねです。
 

そうすれば、実はそんなに苦労しなくても、というかわりとラクに、道が開けていくんですよね。面白いことに。
 
 

力むのをやめたら答えが目の前にあった

ではここで、奇跡のリンゴで有名な木村の秋さまこと、木村秋則さんが、自然栽培の極意を発見したときの話をご紹介します。
 
これはまさに、「力が抜けた瞬間に解決策を発見し、それに従ってワクワクすることを行動していった結果、”秋さま無双”が誕生した」という分かりやすい事例です。
 
リンゴ作りの常識を覆す「無農薬・無肥料」という前代未聞の術を操り、リンゴの自然栽培を見事に成功に導いた秋さま。
 
しかし最初のうちは、ありとあらゆる手を尽くしても、リンゴはなかなか実ってくれませんでした。
 
ついに6年間が経ち、結局リンゴの花を一輪も咲かせることができず、八方塞がりでとった秋さまのある行動が、奇跡へとつながっていきます。

 

近所のリンゴ農家からも害虫のことでたくさん苦情をいわれていたから、私の両親にも女房の両親にも本当につらい思いをさせてしまったんです。
 
(中略)
 
もう犯罪者になったような気持ちでした。
 
だから自殺をしようと思ったんです。「もうこれ以上やっても結果は同じ。家族を苦しめるだけだ」と諦めてしまったんです。
 
私は絶望し、気付くとロープで自分の首をくくるための輪っかを作っていました。岩木山の山麗にある私の畑には夕闇が迫っていましたが、私は自分の死に場所を求めて山を登り始めました。
 
二時間ほど時が過ぎていたでしょうか。私はちょうどいい太さの枝を見つけ、そこにロープを吊るして死のうとしたんです。
 
ところが、地面に足がついてしまって、首が吊れないわけですよ。それでロープを外して、別の木を探したら、近くに高い木を見つけたので、私はすぐさまロープの端を高く放り投げて枝にひっかけようとしたんです。そうしたら、今度は手からロープがするりと抜けおちてしまって・・・。
 
俺は自分で死ぬことすらできないのか、と情けない気持ちを抱きながら、山の斜面を降りてロープを拾いに行ったんです。
 
まさにその時でした。
 
月明かりに照らされ、光輝く一本の木が目に留まったんです。私は草村をかき分けて、夢中でその場所を目指しました。死のうとしたことも忘れてです。なぜなら、それが私が追い求めていた”リンゴの木”だったからです。
 
(中略)
 
枝の張りは立派だし、葉も生い茂っているし、害虫の被害もないから、思わず見とれてしまったんですよ。
 
「うちの木とは違うなぁ。どうして農薬も使わずに、こんなに見事な気が育ったんだろう」って。
 
それで木の前で呆然としていたら、何とも言えない土のいい匂いがしてきたんです。
 
「あっ、これだ!」って思い、私は伸び放題に伸びている草の根本をかき分けて、土の匂いを嗅ぎました。鼻をつくようなツーンとした匂いは、土の中にバクテリアや菌が生きている証だったんです。
 
(中略)
 
私の畑の土は、雑草をきれいに刈り取っていましたから、カチカチに固まっていたんです。だからリンゴの木は根を伸ばすことができなかったわけです。
 
著書「リンゴの心」木村秋則・荒了寛 より

 

彼の体験は、いつも興味深いですね。ここで言いたいのは、切羽詰まったら首をくくればいいってことではありません。
 

「もう終わりにしよう」という境地に至った、というところがポイントです
 

「強い思い」が「執念」や「執着」となっているうちは、なぜか「答え」が出ないんですよね。木村さんは諦めの境地に至ったことで、長年の執着を「手放した」わけです。
 

「人事を尽くして天命を待つ」っていいますけど、木村さんは「人事」はもうじゅうぶんに尽くしていたわけです。後は「天命」に任せる・委ねるということが必要だった。それがたまたま「人生を諦める」という形ではあったけれど、ようやく「天命を待つ」状態になったときに、答えが降りてきたんじゃないかなって思います。
 

木村秋則
photo by farmersmarkets.jp
 

いやー、秋さまの書物を読んでいると、まるで太閤記でも読んでるかのような気分になりますなぁ。秀吉の絵もなんだか秋さまに似てるしなぁ・・・。ガンジーも秋さまっぽいしなぁ・・・。やっぱり秋さまには不思議な魅力が備わっている。
 

結局、秋さまが山で見つけた立派な木は、後にドングリだったことが分かるのですが、その当時はリンゴの木にしか見えなかったそうです。
 
山でその木を見つけたことは軌跡で、それをリンゴと見間違えたこともまた軌跡。
 
そしてもう一つ軌跡がありました。
 

本当は私が探し求めていた土は、すでに私の畑にもあったんです。それも私がずっと放置していた場所にです。
 
ナシやモモ、ネクタリン、シュガープルーン、ブドウなどを植えていたんですが、ろくに草刈りもしなかったので雑草がぼうぼうに生い茂っていたんです。
 
それでもちゃんと実がなっていたことに、私は気が付いていなかったわけです。
 
自分の足元に答えがあったのに、当時の私には、全く見る目がなかったんですね。
 
著書「リンゴの心」木村秋則・荒了寛 より

 

この話は大きな教訓になります。どんなときにも、答えは目の前に既に用意されているんだと。幸せへの道はいつも目の前にあるんだと。
 

執着を手放した瞬間、流れに逆らうのを止めた途端、遠くばかり見るのをやめた瞬間、足元を見た瞬間、次の一歩となる「答え」が見えてくるということは、私たちにも言えることです。千里の道も一歩から。その一歩は足元を見なきゃ分からない。
 

遠くにある大きな夢(目標)を定めたら、次は足元に目を向けて、一歩一歩、着実に進んでいくことが大切なんだと。
 

幸福はいつも足元にあり。
 

ということを忘れずにいたいです。